大好きな手越くんへ。

 

大好きな手越くんへ


多分これは私のあなたへ贈る最後のラブレターです。今でもあなたのことが大好きだから、いや、大好きだったあなたを疑いたくないからずっと信じていたいから。だから書きます。これは私のエゴですね、ごめんなさい。

 

私は手越くんのことが幼い頃からずーっと好きです。母親が、メンバーの増田さんのことをJr.入りたてかな、の頃から好きでその影響で子守歌かのように少クラを見させられていました。ホームビデオを二十歳になった記念で両親と見たのですが、そんな中に少クラを見ながらノリノリで踊っている幼少期の私がたくさん映っていました。

 

そんな私がNEWSを好きになることは本当に自然な流れでした。気づいた時には「てごち!!!」と叫んでいる子どもだったそうです。初恋の相手は「手越くん」だとずっと思っています。周りの子が同じクラスの◯◯くんが好き!と言っている中、私は一人で「てごちくんが好き!」と言っていました。将来の夢は「てごちくんのおよめさん」と卒アルに書こうとした(が母に一生残るものだからやめなさいと言われた)事実が何だか恥ずかしいようで、手越くんをずっと好きでいられたことを誇りに思います。

 

小学生のとき初めてコンサートに行きました。あれは2008年も終わろうとしている頃。過保護な両親は都心まで電車で行った後のコンサートや帰りも電車に乗ることを考えると私が疲れると思ったのか、東京ドーム近くのホテルを押さえ、行きはドームまで父が車で送ってくれて、父はそのままホテルに行きその場で待機。母とコンサートを楽しんだ後ホテルに行って泊まって翌日帰る、という今では考えられないような贅沢度合いでした。(ちなみにコンサートの翌日に食べたカニのしゃぶしゃぶがめちゃくちゃ美味しかった。)
初めての東京ドームは大きかった。広くて音が大きくて眩しくて。見たことない景色に思わず「うわ〜〜!!」とはしゃいでしまったのを今でも覚えています。身長が低い私は、前の人が大きくてステージが全く見えず開演前に駄々をこねてしまいましたが、そんな様子を見た横のお姉さま4人組の方が通路横の席と変わってくれて、しかも警備員さんに「少しだけ」通路に出てもいい、という許可までもらってきてくれました。そのおかげで初めてのコンサートはすっごい楽しい思い出になりました。今でも、人生でいちばんの思い出は?と言われたら、「東京ドームで初めて見たコンサート」と答えるくらいです。あの日から東京ドームは私の夢の場所です。

 

メンバーが減って4人になったとき、正直あんまり覚えてないけど、母が泣いていたことだけは覚えています。私が初めて母の涙見たのはあの日でした。(ちなみに2回目はチャンカパーナをCDショップで手にしたとき!3回目は私が第一志望の高校に受かったとき!4回目は今年の頭の成人式です。)でも、母にあのときどう思った?と今回のアルバム(「STORY」)を聴いた際に聞いたら期待しかなかった、と言っていました。「4人で続けようと思ってくれる限り、私はずっと好きでいるだろうなって思ったよ。」そう言った母はすごく愛おしそうに手帳に挟んである10周年のアニバーサリーの4人の写真を見つめていました。

 

再始動して一発目のCDを手にしたときも嬉しかったなあ。新しい形のNEWSに少しの戸惑いもあったけれど、本当に嬉しかった。絶対ずっと好きだし、NEWSがNEWSとして愛を届けてくれる限りずっとついて行こうってあの日思いました。

 

4人になって最初の東京ドームは10周年のアニバーサリーツアーでした。母と二人行きたかったのにチケットは取れず、何としてでも行きたい!という私と、ダメな方法で行くのはやめようという母。人生初の大げんかでした。でも結局、「10周年の特別な記念のコンサート。しかも4人で初の東京ドームに、違法なことをして罪悪感を持ったまま入るのは絶対に後悔するよ。大好きな人のためになる行動を選ぼうよ。お母さんも行きたいけどさ。」という言葉で渋々納得しました。アーーーー今でも悔しい!!!行きたかった!!!!!!!!!!!!!!!

 

「愛言葉」をオンラインで載せてくれたときとても嬉しかったなあ。大好きしか言えなかったし、今でも語彙力はないからあのときの気持ちをうまく表すことはできないけど、すっごい幸せだったの!!手越くんの、NEWSのファンでよかったって心の底から思った。


母とコンサートに行けたのは、2013年の秩父宮がラストでした。そう思ったら、余計10周年行きたかったけれど、優しくて「好き」が溢れた母の言葉を聞いたら仕方ないなと思います。2014年以降は、コンサートに行くたびに大好きな手越くんだけではなく、増田くんのことも見て母にかっこよかったポイントを伝えるようになりました。手越くんだけを双眼鏡でついつい見てしまう私には、見られていないところも多くあって、コンサートの後増田くんのファンの友人に「まっすーのいちばんかっこよかったところ教えて!!」と頼むようになりました。一度外で体調を崩してから「コンサートで体調を崩したら周りのスタッフさんやファンの人に迷惑かけるよね。」と怖くなってコンサートに行けなくなった母ですが、増田さんのかっこよかったポイントを伝えるたびに行きたいなあと目を輝かせていました。

 

2015年。4人がドームに立つ姿を私は生で初めて見られました。夢の場所に帰ってきた4人がキラキラしててかっこよくて最初から最後までずっと泣いていました。なんなら、会場に入ってすぐ泣いた(笑)あー嬉しかったなあ。4人で立つドームお母さんと行きたかったなあって思ったけど、私の感想を嬉しそうに聞いてくれる母にそんなことは言えませんでした。でもその時、私は「いつか私が母のトラウマを払拭できるような力を得て、また一緒に東京ドームに立つNEWSを見たい」という夢ができました。だから私は、カウンセラーになりたいし、今は大学で心理学を勉強しています。こんな夢、持つことができたのは手越くんのおかげです。好きにならせてくれてありがとう。

 

QUARTETTOも楽しかったな〜。グッズのオルゴール、しんどくなるといつも回すんです。私の心の支え。今も回して聞いています。壊れないように大切に扱わなくちゃね。

 

2017年。知りたくもないことをたくさん知りました。SNSを始めて多分いろいろなことを調べすぎたのだと思います。でもこの時、「私が好きなのはアイドルの手越くんだから。ステージ上じゃないプライベートは手越祐也が幸せでいてくれればそれでいいんだあ。」って思いました。アイドルとしては許されなくても、一般男性だったら許されることいっぱいあるから、そこまで私みたいなただのファンが縛り付けることはできない、と。それから、スキャンダルがどれだけ私の目に入ってこようと気にしないようになりました。

 

そしてこの年から4年プロジェクトが始まりました。まああの当時は気づいていなかったけれど、NEWSプロジェクトが発表されたときは震えました。私はとんでもない人を好きになってしまった!!!って(笑)NEWSのエンターテインメントが私にとっては世界一です。大好き。このプロジェクトの話をして、毎年コンサートの思い出を語っていた私に、去年母がこう言いました。「最後の締めくくりは一緒に行きたいな〜。行けるように体調万全にしなきゃね!」泣きそうなくらい嬉しかったけど、涙をこらえて「うん!!絶対一緒に行こう!」って言ったこと昨日のことのように覚えています。

そんなこんなで迎えた今年、まさかの事態でコンサートが中止されています。こんなことになり、持病持ちの母は怖いからコンサートやるとなっても行けないね、と落ち込んでいましたが、「またあなたの感想聞かせてね!今度はちゃんと増田さん見てきてね!」と言ってくれました。NEWSと作ってきたSTORY。きっと最高のHAPPY ENDINGだし、終わったときにはもっともっとNEWSを好きになる。そう確信していました。

 

ああ、こうやって思い浮かべると私は相当手越くんに支えられて生きてきたんだなあ。書ききれなかったこともいっぱいあるけれど、本当に。いつもいつも、私の支えであってくれてありがとう。


初めての受験も手越くんも今上を目指して頑張っているんだ!と思ってのりこえた。
私の両親が世界一だと感じたクリスマスのプレゼントも「テゴマスのまほう」のチケットだった。
中学生になって新しい環境に馴染めなくて悲しくて仕方なかった時だって、手越くんの笑顔に励まされてきた。
大切な友人を亡くしてつらかったとき、一人じゃないよって寄り添ってくれるNEWSの声のおかげで立ち直れた。
心配性でネガティブだった私が、ポジティブになれたのは手越くんの底なしの明るさとポジティブさのおかげ。今では、「あなた見てると元気になるわあ」「ポジティブだねえ」と友達に言われるようになったんだよ。


あとね。手越くんがアイドルとして輝いていてくれる限り、私の夢は続くから。「母と二人でNEWSのコンサートに行きたい」って夢叶えるために勉強頑張ろうって思う。私に、「手越くんを好きになるきっかけ」をくれた母に、今度は私が「増田くんにまた会いに行くきっかけ」をあげる。今はまだ力不足だけど、いつか絶対。

 

私なんかより手越くんのことを好きな人はいっぱいいると思います。私の「好き」なんかちっぽけで、無力だと思う。でもね、私は手越くんに支えてもらって生きてきた大勢のうちの一人として私なりに手越くんのパワーになれたらいいなって、ずーっと思っていました。だから私は今回のこと、正直どう言っていいかわかりません。今身を守る選択をしない、ということは「今後アイドルとしてステージに立つこと」よりも今の楽しみの方が大切だって手越くんが思っている、ということだと思うから。アイドルとしてファンに笑顔と勇気を振りまいてきた「孤高のアイドル・手越祐也」の存在が揺らぐ気がするから。5歳から20歳まで15年間ずっと「好きでいた気持ち」は、「アイドル」手越くんの「アイドルをする気力」になれなかったのかな。なんて、手越くんは私のことを知っているわけないのに少し落ち込んだりしています。

 

私が好きだったアイドル「手越くん」をこのまま嫌いになりたくない。ずっとずっとキラキラ輝く私の青春であってほしい。こんなこと、私のエゴでしかないけれど、嫌いにならないために少し距離を置くことをお許しください。

長くなりましたが、またいつか私なりの「好き」を詰め込んで手越くんに、NEWSに会いに行ける日が来ることを願っています。

 

ずっとずっと、大好きでした。ありがとう。